元禄14(1701)年、赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城内で、旗本の吉良上野介を斬りつけたことで始まった「赤穂事件」。浅野は即日切腹。翌年12月14日、大石内蔵助をはじめ赤穂浪士47人が吉良邸に押し入り、主君の仇討ちを果たしました。
約50年後、この史実を基に「仮名手本忠臣蔵」が人形浄瑠璃として初演されます。武家の不祥事を演ずることは禁じられていたため設定や名前を変えて脚色されましたが、日頃から幕府に不満を抱く民衆に、悪役退治は胸のすく思いで迎えられて大ヒット。間もなく歌舞伎でも演じられます。そして今日にいたるまで映画やテレビでもたびたび取り上げられ、「忠臣蔵」は日本人の心に浸透していったのでした。
事件から320年後の今、浮世絵や江戸古地図、衣装や道具などを交えて江戸元禄期の忠臣蔵の世界を振り返ります。