和時計の一種で四角すい形の櫓台の上に乗せて使ったことから櫓時計と呼ばれています。下にぶら下がったおもりが動力になり、本体上部にある棒天符2本のおもりの位置を変えて時計の動く速度を調節しました。本体の文字盤には十二支(子・丑・虎…)及びそれぞれに対応する漢数字(九・八・七…)が記されています。 機械時計は戦国時代から江戸時代初期にかけてヨーロッパから伝わりましたが、ヨーロッパは定時法(昼夜・季節に関係なく時間の間隔が同じ)だったため、当時不定時法(昼夜・季節により時間の間隔が異なる)を使っていた日本ではそのまま使うことはできませんでした。それを日本式に改良した時計を和時計といい、櫓時計の他に尺時計・枕時計などが作られました。 和時計は当時の工芸技術の粋を尽くした作品であり、非常に貴重で主に大名や大商人が使いました。この時計は鳥取藩主池田氏に愛用されたものと伝えられています。